太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。 戦争と平和SP

太田総理を見て広島・長崎へ落とされた原爆についての議論についてちょっとおいらも考えてみた。
ただ、おいらは第二次世界大戦についての知識が足りないし、原爆被害に対する実感もあまりない。
正直、原爆についてはあまり思うところも無い。
実際に被害を受けた方から見たら許せないような事を書いてしまうかもしれないという恐怖もちょっとある。
なので、TVでの討論で出た意見についての意見を述べる。


今、原爆についてよく言われている意見がある。


・原爆投下により戦争が早く終わり、結果的に何百万人もの命を救った。(主にアメリカ側の意見)
・原爆投下は仕方が無かった。(久間前防衛大臣の発言)


この意見はある意味、というかある条件においては正しいとも考えられる。
例えば、「被害者」が辛い過去を水に流し、明日に向かって歩いていこうという時に、
自分を納得させ、怒り・憎しみという感情を押さえ込む為にこのような考え方をするのであれば理解できる。
(いや、怒りは持ちつづけるべきだ、という考え方もあるだろうが)
でも「加害者」がこの意見を言った場合、それは自らの行為を正当化する為の発言とも取れる。
また、この意見について一番怖いと思うのは、「必要があれば原爆の使用は許される」という考えに用意に繋がることだ。
私もそうだが、戦争を体験していない人が多くなっている。
そういう人達は戦争を経験した人たちとどうしても同じようには考えられない。
このようなことを考慮に入れると、原爆許容を連想させるこの意見は「口にしてはいけない」意見だと私は考える。


原爆が広島・長崎に投下されたという過去はもはや変えようがない。
愚かな私たちではあるかもしれないが、せめて未来に同じ過ちを繰り返さないようにしていくべきではないだろうか。


番組中、代理秘書の小学6年生の女の子が言った「核の問題じゃなくて戦争自体があっちゃいけない」という意見。
確かにそのとおりで、子供の頃はほとんどみんな「戦争はダメ」と思っていたはずなのに、
なんで大人になると「戦争も仕方が無い、しなくちゃいけない場合もある」というように考えるようになってしまうんだろう。


人間は意見・意思を表す時に言葉を使う。
だが、言葉と言うものは意思・感情を相手に正確に伝えるにはあまりに無力だと感じる。
言う人、聞く人の立場・考え方によってその意味が大きく変わってしまうからだ。
直接「話し合う」(一方的に話すのはダメ)場合にはそのずれはある程度少なくなるかもしれないが、
活字にする場合には特に注意が必要だと思う。


なんてことを活字にしているので非常に怖い。あー怖い…。
でもむしろ間違っていると思うところがあるならコメントで突っ込んでもらいたい。怖いけど…。
(え、誰も読んでないから大丈夫?)
やっぱこういうマジな話を書くのは勇気がいるっす。


ちなみにこの「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」という番組はなかなか面白い。
政治に興味が無いおいらでも楽しく(もしくは今の政治に憤りながら)見ることが出来ます。
お勧めです。